本日はちょっと形式ばった話ではなく、私の思うことを書いてみることにする。
文章がめちゃくちゃかもしれないし、何言っているかわからないこともあると思う。
そこはご愛敬。
情報発信をして気づいた真実
ここ最近情報発信につかれてきたところがある。
なぜか。
それは、承認欲求を満たすために情報発信している自分に気づいたからだ。
もちろん、それにいいも悪いもない。
でも、承認欲求を満たすためだけに生きているわけではない。
生きづらさの根幹にあるもの
生きづらさの根幹にあるものは、自分の幸せを定義できていないことにある。
もちろん、社会制度が整っていない、周りの人間に理解されないということも関係している。
ただ、それは表面上の悩みでしかない。
私の幸せは、「やりたくないことを一切しないでやりたいことだけをすることだ」
自分の中での幸せは何だろうと問うてみてほしい。
もちろんすぐに答えはでないこともある。
自分を何年も押し殺してきた人は特に。
私は生きづらい人が生きやすいと思ってもらえるように、情報発信をしている。
でも、生きづらさを解決している当人が生きづらさを解決できているかといったら、胸を張って「Yes!」とは言えない。
生きづらいと感じることは毎日だ。
でも生きづらいから自分が幸せだと感じることができないかと言われればそうではないと思っている。
障害や病気を持っていたら幸せになれないのか?
前項で話した通り、障害や病気を持っていても、自分が幸せを感じることはできるだろう。
でも、障害や病気を持っていることで鼻からあきらめてしまう人もいる。
たとえば、発達障害者の大半はコミュニケーションが苦手と言われている。
コミュニケーションで得られるものはを考えてみてほしい。
いろいろあるだろうが、私が思うのは「つながり」を感じたいからではないか。
共感してもらうことで自分や相手の存在価値を認め合える。
確かに、発達障害を持っていることでコミュニケーションによる「つながり」は得にくいかもしれない。
だが、今の時代コミュニケーション以外でも「つながり」を感じることはできる。
コミュニケーション能力が皆無でも、持ち前の好奇心でいろいろなことに手を出し、存在が認められている人もいる。
他のことにも当てはまるだろう。
コミュニケーションは手段でしかない。
自分の人生を生きることが本当の幸せにつながる
人生は1回きりだ。
死ぬ間際で「やりたいことができなかった」と悔やむことがないように、自分の人生を生きよう。
マイペースに。